コラム139 砂上の楼閣<目測の精度>

 某タンカーオペレーターの安全管理者は「これからの船員は熟練者とか豊富な経験者
などはいらない。ISMコードさえあれば誰でも運航可能だ。」だとしたり顔でいった。
 これを聞いた船主船長曰く「素人でもマニュアルを読んだら船を動かせると思ってい
る阿呆がいるのか。安全な距離を保って航行せよと書いてあるからといっても、どの程
度の距離が安全なのかはマニュアルに書いてはおるまい。レーダーがあるから他船や物
標までの距離は誰でも分かるなどともいうが、港内操船には目測が重要である。それに
離着岸操船などは毎回異なり、マニュアルに書いているとおりに操船できると思ったら
大間違いだ。豊富な知識と経験こそ安全運航の前提なのだ。長年ペルシャ湾と志布志間
を往復し、その間、離着岸は水先人に任せ自分でやったことが殆どない安全管理者に内
航船の港内操船など分かるはずがなかろう。」と憤慨していた。全く同感だ。
 昨今、任意ISMコードが大流行だがやたらに詳しく書いているからよしとし、この
ISMコードを渡しているのだから、そのとおりやらない乗組員が悪いという者がいる。
 マニュアルのとおりやれというのは結構だが、その内容を乗組員がどの程度習得しか
つ習熟しているかとか、航行中、手順とおりの当直を維持しているかなどの検証もせず、
作文同様の記録簿を点検するだけで自己満足しているようでは事故防止はおぼつかない。
 任意ISMコードを取得しているから衝突、乗揚げなどの事故がなくなるなどと思っ
たら大間違いだ。事故例は多いのである。
 筆者にいわせればISMコードは所詮は砂上の楼閣のようなものだと思っている。
 マニュアルを理解しかつ実行するために必要な基礎知識、経験の有無や判断の適否を
確かめることをせず、マニュアル作りだけに腐心しているのが大多数の船社の実状であ
るから「砂上」といっているのだ。例をあげよう。
 マニュアルの事故処理基準では事故発生時の船位を記録することになっているが、G
PS衛星航法装置の緯度経度を読む際、内航船では緯度経度は馴染が薄いせいで、しば
しば、北緯33度13.25分のところ北緯33度13分25秒などとと書いて平然と
している。代表的な基礎知識の欠如だろう。マニュアル以前の問題である。
 航行中、他船や他物までの距離はレーダーに頼ることが多いが、レーダーだけが距離
測定の手段ではない。
☆旧式な測距儀  ☆レーザー測距器、
☆双眼鏡の分角の利用
☆六分儀
 高度を測定して物標まで距離を求める方法、
 伏角を測定して距離を知る方法、
☆物標の方位を測定して距離を知る方法 ☆音響の反射を利用する方法等々である。
これらはいずれもパソコンを利用することで手計算や海図作業を省略できる。
 まずは乗組員がこのような手段のあることを知っているかどうかである。でなければ
レーダー不調時に測距ができないことになる。最近の内航船員はクロスベヤリングによ
る船位測定を全くやらないといっていい。
 しかし、他船や灯浮標との航過距離、出入操船時岸壁やビットまでの距離を知るのに
こんな悠長なことはできないから目測に頼ることになる。航海士が岸壁まであと○○メ
ートルと船長に知らせたり、ヒービングラインが届く距離に迫ったかどうか。あるいは
あとなんメートル後退して係留するなどといったことはすべて目測だ。
 船が岸壁に接近しているときには実距離より少なめに報告する。逆に離れるときは実
際より多めに距離を報告するのが普通だという研究結果がある。 この研究結果と逆な
距離感を持っている者は用心したほうがいいともいわれているが、果たして船社は自社
船乗組員の距離感を確かめているのだろうか。

 阪九フェリー株式会社は新門司〜阪神間の瀬戸内海航路に就航する大型カーフェリー
を所有しているが、同社海務部では、船長、航海士、甲板手の目測の確度をレーザー距
離計を使用して掌握しているので一例を紹介しよう。
 図において、赤の四角形印は船長、緑は航海士、青○印は甲板手のものである。
横軸はレーザー測距器で測定した実距離、縦軸は目測距離である。
 したがって、赤実線上付近に測定値が表示されていると、目測距離感は正確でこれよ
り離れると誤差が多いことになる。赤線より下なら、実距離より少なめであり、逆な
ら多めに感じていることになる。100メートル以下の実距離の場合、船長以外は図の
右下に示している。船長の場合、100メートル程度以下の実距離での誤差が少ないの
は経験のなせる業<わざ>だろう。経験の重要性を裏付けている。
、航海士、甲板手では実距離よりも少なめに距離を感じていることが分かるだろう。
 数百メートル以上になるといずれも誤差が大きい。実害はないといえばそれまでだが、
500メートル程度までは数十メートルの誤差で目測ができるように距離感を養っても
らいたいものだと思っている。
 500メートルという距離は健全な視力(1.0)で他船の乗組員の挙動が分かる距
離だ。
 自社船乗組員の基礎的な錬度<れんど>や基礎知識を掌握せず、あるいは必要な船員
教育を放置し、マニュアルを与えただけでよしとしているなら、そのマニュアルは将<
まさ>に「砂上の楼閣」だろう。文書作業は乗組員の休息時間を圧迫してるのだ。

 目測の例は阪九フェリー株式会社海務部からご提供頂いた。取締役船舶部長苅田哲人
氏、本店駐在松本海務監督、泉大津支店駐在西口海務監督他計測に協力頂いた乗組員の
皆さんに感謝とお礼を申し述べたい。



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