コラム137 高速船と旅客の安全

 平成5年2月11日19時17分頃のことである。長さ19.31メートル、総トン数29トンの
軽合金製全通一層甲板型の高速旅客船しまかぜは旅客22人乗員3人が乗り組み、当日
最終便として松山港高浜を発し中島町大浦(現、松山市)に向かった。
 出航後、間もなく航海全速力21ノット(約39キロメートル)に増速して高浜瀬戸を北上し
た。その後、風浪の影響を避けようとして一旦基準経路を逸脱して航行したが、船長は基
準経路遵守についての意識が薄く、操船に集中して速やかに基準経路に復帰しなかった。
 船長はぼんやりと考え事にふけり、見張員からも何の報告もないまま左方に見える興居
島の民家の明かりに沿いほぼ同針路のまま続航中、興居島頭埼灯台南方の干出岩に、
全速力のまま乗り揚げたのである。
 乗揚げの結果、船首船底部を圧壊破損し、上部甲板にひずみを生じたほか、両舷機のプ
ロペラ6翼全部を曲損し、客室内部の座席、床板がほぼ全損状態となった。
 また重傷者3人を含む乗客21人と船長ほか2人の乗組員が身体各部に打撲、捻挫、挫
傷などの負傷を負ったのである。 
 筆者は、この船の運航管理者から通報を受け損傷状況を見分したが、座席、床板がほ
ぼ全損状態になったのは、衝突の衝撃で乗客が前方に飛ばされ前の座席を強打したこと
から、座席が床の止め金具ごと外れて前に倒れことによる。重傷者は前後部に分かれて
いた客室のいずれも最前列に座っていた乗客で、前方の壁に飛ばされで全身を強打した。
これら乗客の身体がぶつかったことで、客室前壁のステンレス製ハンドレールは曲損し
ていたし、鋼製の消火器格納箱も曲損しているという惨状であったのである。
 衝突時の速力は全速力であったから、10.8メートル毎秒の速力で乗揚げた程度ですら、
ほぼ乗客乗員全員が負傷するのだ。 一般論として、小型高速艇ほど人体に与える衝突の
衝撃は大きい。
(注:高速艇とは俗称で、いわゆる高速船コードを適用した船は我国には存在しない。)
 小型鋼船同士が相対接近速力20ノットで正面衝突した場合、双方の船首が圧壊して
衝突のエネルギーが吸収されることから、乗組員が負傷することは滅多にないし、面白
いことに船首が相手船に衝突しても、よほどのことがない限り、船首部の損傷はウインドラ
スの前面までで留まることである。乗組員が負傷するのは、船首や船尾付近に横方向から
衝突された場合が多い。

 平成18年4月9日18時05分ころ鹿児島県南大隈町佐多岬沖合で、乗客乗員110人を
乗せ屋久島から鹿児島に向かっていたK商船のジエットフオイルトッピー4(全没翼型水
中翼船<JETFOIL>281トン)が突然衝撃を受け乗客乗員全員が重軽傷を負った事故が
発生した。衝撃は鯨とも流木とも言われるが、いずれ特定されるのではなかろうか。
 流木と衝突したのなら、流木の長さ方向と船首方向がほぼ同方向であったから、前翼には
衝突せず、後翼右舷側に衝突したと推認することもできるだろう。
 佐渡汽船(株)は同型船を日本で初めて導入した会社で、3隻のジエットフオイル(以下、
JFという。)を所有している。JFはアメリカのボーイング社が最初に設計建造したもので、船
首と船尾付近の水中翼で船体を浮上させ時速80キロメートルの高速で航行するものであ
る。
 翼はストラット<STrut>と呼ばれ船体の前後にある。これらが水中障害物に当り、許容
過重以上の外力が掛かると、船体を保護するための船体取り付けピンを支点にして前部のス
トラットは後方に回転する。
 通常の翼走状態(時速80キロメートル)で衝突した場合、物体重量が約4トン以上のもの
だと許容荷重以上になる。前部のストラットはエナージーアブソーバーと呼ばれる衝撃吸収装
置が2本あり、これが伸びることで衝撃を吸収するが、より大きな荷重がかかると、最後には
抜けて、船体支点を破壊して切り離し脱落し船体に大きな損傷を与えないような構造に
なっている。
 船尾側ストラットでは安全ピン<Fuse Pin>が同様に許容荷重以上で切断して、ストラ
ットは後部に回転して船体を保護する構造になっている。
 しかし、そうなっても船体に当り船体を損傷することはないので後部ストラットは切り離す
(脱落する)構造にはなっていない。
 このように後部のストラットはロック機構が外れ翼を跳ね上げることにより船体を早く着水
させることでエネルギーを吸収させる構造であるが、ロックが外れた瞬間に後部の船体は
2メートル近い高さから時速80キロメートルで瞬時に海面に叩きつけられることになるから
乗客乗員は激しい衝撃を受けることになる。
 これはアルミの船体がねぎ切れたりして船体が破壊すると浮力を失うこともあるので緊
急着水させるものであり、唯一のフエイルセイフ機能だ。

 K商船のJFのばあいは、前翼ではなく後翼に損傷を生じた模様である。佐渡汽船による
と、同汽船では後部ストラットのみに衝撃を感じ翼に損傷を生じたことがあるが、負傷者が
でたことはないということである。
 前翼の場合は病院で加療を受けた負傷者がでたことが2例ある。 1例は乗客57人中
負傷者は9人、2例目は乗客209人中11人が負傷したということで、負傷者が出た事
故ではいずれもショックアブソーバーが働き前部ストラットは海中に脱落している。後者の
例では後部ストラットにも衝撃を受けている。
 1例目で海中に脱落した前翼を回収することができなかったが、2例目はほぼ1秒毎に
記録されていたGPSの航跡を解析し、脱落場所を特定し、サルベージの手によって引き揚げ
て修理され再用することができた。翼は高価であり、新しく製造するよりも引き揚げ費用のほ
うが遥かに安価だ。
 また、翼に衝撃を感じた際、その直前に鯨またはイルカを発見した例、また、その後に船
体後方で血塊を認めたり、海中で鯨の死体を発見した、翼に鯨らしい肉片を認めた、付
近の海岸に鯨の死体が漂着したなどの例は過去に8件発生しており、正体不明の物体と
の衝突も数例あるということである。
 博多/韓国間の航路では今年、鯨などの海洋生物と衝突したと思われる事故は4件発
生している模様である。トッピー4の場合、乗客乗員全員が重軽傷を負ったのであるから、
徹底した原因究明が必要だろう。
 佐渡汽船のJFでは、鯨が嫌うだろうと思われる音波を水中スピーカーから発する装置が
実装されているが、これを使用し、音波を発していても鯨と衝突したことがあり、効果は期
待薄のようである。

 このように、JFが水中障害物と衝突したとしても、船体が浮力を喪失して沈没にいたる
おそれは極めて少ないのであるが、時速80キロメートルで航行中、2メートル近い高さから
船体が殆ど瞬時に着水した際には激しい衝撃を受けるのであるから、航行中における乗
客の安全確保のためシートベルトの常時着用を義務付けるべきだろう。
 時速39キロメートルでも前示小型高速船のとおり多数の負傷者がでるのだ。

 トッピー4の事故後、高速船と呼ばれている小型旅客船では出航ご、海中障害物との
衝突による衝撃に備えてシートベルトを着用するよう呼びかけているが、アナウンスに
留まり、着用していない乗客に対して乗組員が着用を促しているのを筆者は見たことが
ない。
 注意を呼びかけただけで良しとするようでは安全意識が問われよう。

 本稿において、佐渡汽船株式会社関連事項およびストラットの機能については同社高速
船部および情報システム部 朝賀一夫氏からご教示を得たものである。お礼を申し上げたい。
 JFの写真は同社の平成18年のカレンダーをコピーし転載させていただいたものである。


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