コラム135 舷燈談義<右は緑に左紅>

旧海軍のの運用術の教範(一種のマニュアル)に「操艦教範」というのがある。
 大東亜戦争終結後、海上保安庁水路部(現、海洋情報部)が航海参考資料として復刻
版をだした。 筆者は昭和30年代中頃に1冊購入し手元にある。
 この冒頭の記載に、
「艦の保安に関して最も重大なる関係を有するは航行中に於ける艦橋内の静粛厳密なる
見張り及び碇泊中に於ける当直勤務の格守なり当事者は深く思いをここに致し災いを未
然に防ぐことに努むるを要す」と記載されている通り、艦の保安と見張りは重大な関係にあ
るといっている。 海上自衛隊の「操艦教範」も全く同じ趣旨だ。
 この教範は昭和63年7月東京湾で発生した潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事
件でも証拠として採用された。海上衝突予防法では「あらゆる手段を用いて見張りを行え」
と命じているが、あらゆる手段とは、肉眼など五感を用いること、双眼鏡、レーダー、VHF、
AISの利用などであるが、肉眼とレーダー見張りが最も重要だろう。
 肉眼で見張る時は双眼鏡を常に携えるが、自分自身専用のものを使うべきだ。さもないと、
他人の目に合ったものは再調整に無駄な時間を費やすことになる。ヨットや、プレジャーボ
ートではコンパス内臓のものがいいだろう。一般商船では双眼鏡兼用タイプのレーザー測
距器を使用したい。 レーザーでなくても分角双眼鏡を使いこなすと、概略の距離や方向
も分かる。

 海事史料叢書第五巻の収録されている「乗船五カ条」に「車者、前を見て特あり、船は
四方を見て有利」という一文がある。船は全周をよく見張れということだ。夜間他船の燈火
を見ても見るだけではなく、その動静を監視するが、相手船の針路の範囲を推定すること
も必要である。
 相手船の舷燈をを認めた場合、認めた燈火の方位から他船の針路を推定することがで
きるが、これを「点繰り」といっている。点とは点画法のことで、360度を32点とするから、1
点は11.25度である。北北東は2点<22.5度>だ。舷燈は片舷112.5度の範囲を照ら
すから、10点である。
実際は余光といって船首方向から反対舷に数度まで照らすし、近距離だと舷燈ガラス面
の反射光で、正船首から150度くらいまで舷燈を認めることができる。
 ここでは、これらの余光やガラス面の反射を無視して正船首から左右10点まで照らすとし
て話を進めよう。
 動力船の場合は図のように紅燈を認めたなら、その方位(例では045°<4点>の反方位
<225度>に面し右方10点<112.5度>の間、緑塔ならその方位(例では315度<28
点>の反方位<135度>に面し左方10点間の中に向いているはずである。
 ヨットの場合は、当時の風位から左右4点から6点以内にある方位が、このなかに含
まれる場合は、その範囲を除外することになる。図で緑燈の場合、動力船なら針路は135
から22.5度の針路であるが、相手船がヨットで北風が吹いているなら、45度〜135度の範
囲が概略の針路である。
 相手ヨットの舷燈を一瞥し、風位から大凡の針路を即座に判別できれば、夜間の当直や
操船を任せていいだろう。

 ところが、困ったことに色覚異常の人で1色型色覚(いわゆる全色盲)や2色型色覚(いわ
ゆる色盲)だと「紅緑2燈」の区別がつかないといわれている。第一異常(赤)の場合をを第
一色盲(赤色盲)、第二異常(緑)の場合を第二色盲(緑色盲)というのだそうだが、日本で
は男性の全人口の5%、女性では約0.4%の色覚異常者がいるのだそうだ。
 現在は海技従事者国家試験での身体検査基準の緩和がなされているが、事故に結び
つく可能性が大きいような、過度の緩和は考えものではなかろうか。左舷と右舷とをを取り
違えたらえらいことになる。
 
 色盲の検査で有名なのは世界的に使用されている石原式で非常に精度がいいというこ
とである。色盲と交通事故について最初にこのことに注目したのは明治8年(1875年)ス
エーデンで汽車が衝突して9人が死亡したときからだといわれている。この事故を同国の
生理学者ホルムグレーンが調査した結果、原因は汽車の運転手が色盲であったので、信
号を誤認したものと断定された。これ以来色盲の危険性を知ったのだと、昔の石原式色盲
検査表で石原博士が述べられている。
 また、おなじ明治8年にイギリスのノーホークの近海で汽船が衝突したが、このとき一方の
船長が色盲で緑燈を紅燈と見誤って舵をとったことが判明した。
 明治12年(1879年)2月にはポルトガルの砲艦「マリネロ」が帆船と衝突、帆船は沈没し
たのだが、このときは帆船の船長が色盲で砲艦の舷燈を白色の港光と間違えたことが原
因だったそうである。
 同じ年にギボラ港で帆船「テレサ」が沈没したが、これは船長が海岸の赤い港光を建物の
白い火と間違えたことで発生したものだといわれる。
 このように汽車の運転手や汽船の船長が色盲であったがため信号や燈火を誤認して事
故を起した実例は、我国ではあまり聞かないが、欧州ではしばしばあったのだそうだ。

 さて、船の舷燈は右はみどり、左くれないである。青と赤ではなく緑と紅である。
 明治3年(1870年)太政官布告により船燈規則ができたが、この布告には「大船にともす
ともしび上は白、右はみどりに左くれない」の和歌と「赤玉ポートワイン」の語呂合わせが示
された。和歌の方は良くできており覚えやすいし、語呂合わせのポートは左舷のことであ
る。赤葡萄酒<ぶどうしゅ>と船の左舷燈は赤玉が点るということをひっかけた文句であり、
良くできているではないか。
 
 海上衝突予防法施行規則では燈火の色度を日本工業規格Z8701の色度図によって表
わしており、厳密な数値表現だが、筆者は無学で何のことがサッパリである。
 紅色というのは「鮮やかな赤色」のことであって赤色よりも一段ときわ立つ色のことであり、
赤の文字は火が燃える様の象形文字から、紅は糸を染める象形文字からきていると言わ
れた方が納得だ。


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