コラム128 ヨットファルコンの沈没<金沢工業大学増山教授の考察>

 このコラムは金沢工業大学 工学部 機械系教授増山豊先生の[「琵琶湖ヨット事故
に関する考察(3)」と題する論文をそのまま掲載させていただいたものである。増山先
生は工学博士(大阪大学)でセーリングヨット研究会座長でもあられる。筆者も春一番
U世号でご一緒したことがあるが、ご自身でもヨットを巧み操られる流体力学の権威者
だ。これまでにヨット研究をされ風速の1.2倍の20.5ノットで走る水中翼ヨット、セーリン
グカッター、実験用外洋帆走艇、セールダイナモメータ船などの実験研究や開発を行
ってこられた。
 大阪市が復元建造した菱垣廻船の海上実験にも関与されている。
 この論文は、平成15年9月に琵琶湖で発生したヨットフアルコンの転覆沈没事故を動
復原力の観点から考察したもので、舵誌に掲載された「なぜヨットは沈没したか」、(財)
日本セーリング連盟技術委員会の「セーリングクルーザーの転覆沈没を防ぐために」ま
た国土交通省・日本小型船舶検査機構・(財)日本セーリング連盟が共同で刊行した
「ヨットの不沈神話!<あなたは信じますか?>のソースになったものである。
 
 この事故は神戸地方海難審判庁で裁決されたが、理事官はこの論文を参照し、論告
の一助にしたはずである。論文の内容を理解するためには、船体重心位置、浮力の作
用点、メタセンターと呼ばれる三点の関係についての知識が不可欠であるが、このような
復原力に関する基礎知識は既知として紹介させてもらった。
 先生も指摘されているがクルーザーの安全運航には、静的復原力のみならず動的復
原力に関する理解が是非とも必要である。 先生の論文に対して誠におこがましいが、
あえて、冒頭で解題を述べることをお許し願おう。
                                    海事補佐人 鈴木邦裕

琵琶湖ヨット事故に関する考察(3) 金沢工業大学 増山 豊 2004. 3. 7
1.はじめに
 平成15年9月15日夕刻に起きた「ファルコン」(YAMAHA21S)の転覆沈没事故は、必
死の捜索救助活動にもかかわらず、6名死亡1名行方不明という誠に痛ましい事態となっ
た。日本最大の湖とはいえ琵琶湖のような内水面で、外洋セーリングヨットが横転、転覆
、沈没という状況に至ったことは、日頃外洋セーリングヨットの安全性を信じ、ほとんど疑
いを持っていなかった我々にとって非常にショックであった。何故このような事故が発生し
たのかについて考察し、再発を防ぐ手立てを考えることは、これまでヨットは安全であると
標榜してきた我々の責務であるとともに、亡くなられた方々へのご無念にお応えする上で
も重要なことと考えている。

2.解析対象艇の概要
 事故艇であるYAMAHA21Sについては現在、警察の捜査ならびに海難審判庁の審理
の対象となっており線図は明らかにされていない。このため、同艇とほとんど同じスペック
で筆者が創生した艇を、ここでの解析対象とする。従って、ここで述べるのはあくまで、
YAMAHA21Sと同程度の艇のものではあるが、YAMAHA21Sそのものの解析結果ではな
いことをお断りしておく。しかしながら艇体重量、重心高さ、ならびに乗船者配置などは
事故当時の値を用いている。
 図1に解析対象とする船型ならびに主要目を示す。ここでは、ドグハウスを省略しフラッ
シュデッキのままとするが、コクピットだけは考慮することにする。これは沈没に至る過程
で、コクピットに浸水した水がかなり重要な意味を持つためである。

3.復原力曲線
 船の転覆を考える上で復原力曲線(スタビリティーカーブ)が重要な意味を持ってい
る。 復原力曲線については、本誌12月号の永井潤氏による「セーリングクルーザー転
覆のメカニズム」に詳しく説明されているので参照頂きたい。ここで解析対象艇の復原
力曲線を図2に示す。帆走に必要な備品を搭載した状態ではあるが、乗員のない場合
を示している。 全備重量は1130kgf、重心高さは喫水線から0.17m上となっている。
 図より、復原モーメントが最大になるのはヒール角が56°の時で、約530kgf-mである
ことが分かる。まず気を付けてもらいたいのは、この最大復原モーメントの値は、大人(
体重60kgf)9人が、船体中心線から1m離れた舷側に並んだ時のモーメントにほぼ等し
いことである。
 ということはこれだけの人が舷側に並ぶだけで、この船は転覆する・・・。実際には乗
員によるモーメントはヒール角とともに減少するので、このまま転覆には至らないが、これ
以上の人が舷側に並べばヒール角56°を越えて転覆する可能性があることを示してい
る。
 一方、横倒し(ヒール角90°)時の復原モーメントは約340kgf-mとまだプラスの値なの
で、もし横倒しになった時に乗っていた人が振り落とされて無人になったとすると、船は
起き上がることになる。また、復原モーメントが0になるヒール角、すなわち復原力消失角
は118°であり、この角度をすぎると船は自動的に180°転覆(おわん状態)に向かう。
(ちなみにYAMAHA21Sの復原力消失角は115°とのことである。なお、復原力曲線と
以下に示す釣合浮揚状態の計算には、INA&SCS社のMaxsurfとHydromaxを用いた。)

4.復原モーメントと風によるモーメント
 ではこの船のセールに、風が作用した時のことを考えてみよう。ここでは事故当時の状
況を考えるために、メインセール(12m2)のみを上げてタッキングし、そのままアビームま
でベアしてしまったものとする。図3に船の復原力曲線(@)と、セールと船体に作用する
、風速10m/s時の風によるモーメント(破線A)を示す。復原力曲線は図2に示したものと
同じである。
 セールと船体に作用する風のモーメントは次式で求めた。(式(1)参照 )

 ここで、例えば風速10m/sの場合の艇のヒール角を求めようとすると、復原力曲線@と
風によるモーメント曲線Aの交点を見ればよく、約20°であることが分かる。しかしなが
ら、これは風がそよそよと吹きはじめて10m/sまでジワッと吹き上がっていった場合の話
で、静的なヒール角といえる。
 もし、風速10m/sの中でいきなりタックして急に反対側から風を受けた場合、風が船を
ヒールさせようとする仕事量は、直立状態からその角度までセールに与えた全エネルギ
ーに等しいものとなる。これは風によるモーメント曲線Aの下側の面積に相当している。
 一方、船がこれに逆らって頑張ろうとする仕事量も、復原力曲線@の下側の面積で表
される(これを動復原力と呼んでいる)。
 従って、ヨットがタックして急に反対側から風を受けたような場合は、これらの仕事量
(面積)が釣合う点である約50°まで一気に傾くことになる。これが動的なヒール角であ
る。 これをもう少し分かりやすく言うと次のようになろうか。ヒール角が小さい内はセール
に作用するモーメントが大きいのに対して、船体の復原モーメントは小さい。ということは
セールに作用するモーメントが余っている訳である。すなわちヒール角20°までは、セー
ルに作用するモーメントが大きく、これによってたまった仕事量が面積Aに相当するもの
と言える。このため、静的に釣合う20°までヒールしたからといって、「はい、これでヒール
するのはストップします。」とは、セールが言ってくれない訳である。
 20°を越えると、今度は船体の復原モーメントが大きくなりはじめる。船体がセールに
対して頑張った分の仕事量の大きさをBとすると、このBとAが同じになったところで初め
てセールが許してくれて、ヒールは止まるという訳である。
 これが動的なヒール角ということになる。そしてそこまでいって気が付いたら、船体の復
原モーメントの方がセールのヒールモーメントよりも大きいので、「な〜んだ」という感じで
静的な釣合い点である20°へ戻っていくことになるのである。
 最大復原モーメントというピーク値の大きさだけではなく、復原力曲線@の下側の面積
の大きさも重要な意味を持っていることがお分かり頂けたであろうか。

5.横転に至る経緯
 事故当時、メインセールのみを上げて、ポートタックで帆走していたとのことである。
 かなり風が強かったため、風上側(ポート側)に5名(230kgf)の人が座り、風下側(スタ
ーボード側)に3名(130kgf)、またほぼ船体中央に4名(220kgf)の人が座っていた。
 何らかの問題が発生して、舵が左回頭するようにきられ、急にタッキングを行う形になっ
た。このため、それまで風上側に座ってヒールを起こしていた人達が、そのまま風下側に
なり、ヒールを強める結果となってしまった。
 この時の復原力曲線と風によるヒールモーメントの関係を図4に示す。図中、“乗員なし
”とあるのは前出の艇体のみの復原力曲線@である。“風下230kg、風上130kg他”とある
のが、風上側に座ってヒールを起こしていた人達が、そのまま風下側になった場合を想
定した復原力曲線Bである。艇の全備重量1130kgfに対して、乗員重量が580kgfと50%
を越えており、しかもこれが艇体重心よりもかなり高いデッキ上に作用しているため、復
原モーメントが大幅に減少していることが分かる。これによって面積Aが大きくなる一方で
面積Bが小さくなり、Bが消失する90°までヒールしても釣合わないことが分かる。即ちこ
の場合は、風速10m/sであっても動的なヒール角は90°を越えてしまうことになる。
 しかしながらよく考えてみると、90°横転時には風下になった人達がもうすでに水に浸
かってしまっているので、艇から離れているものと考えられる。このように考えるとヒール角
80°から90°にかけて、(a)のように復原力曲線はBから乗員なしの@へもどり、動復原
力が大きく回復したはずである。
 ところがこの時不幸にも、最初風下側に座っていた3人の位置が最も高くなり、この内の
2人がほとんど垂直になったデッキを滑り落ちて、海面近くになっていたセールの上へ転
落したとのことである。この2人の体重分と考えられる80kgfが、重心から2m高さのセール
上に作用するとともに、横転時にデッキ中央部に残った2人分の体重150kgfが作用する
と考えた時の復原力曲線がCであり、Bとそれほど変わらないことがわかる。結果として
、本来(a)のように回復するはずだったものが、結局(b)のようにCの復原力曲線へ戻っ
てしまい、艇は横転に至ったものと考えられる。
 マストが水面に浸かっている状態は、ヒール角100°程度と考えられる。この時の復原
力曲線がCで表されるとすると、復原モーメントはほぼ0であることが分かる。すなわち、
セール上に乗った人と、デッキ上に残った人の体重によるモーメントによって、艇はもうす
でに起き上がることができず、横倒しの状態が続くことを意味している。

6.横転から転覆へ
 ヒール角100°で艇が浮かんでいる状態を図5に示す。左舷を下にし、まだ船内に浸水
がない状態を示している。ハルとデッキ形状を細線で表示している部分が水中に没して
いる容積である。
 この状態であれば、コンパニオンウェイ(船内への出入り口)のハッチ開口部はもちろ
ん水面上にある。コンパニオンウェイのハッチは、通常のセーリングでは多くの場合開け
たままにしている。
 「ファルコン」でも、それまでのセーリングが快適な状態であったことから開いていたとの
ことであるが、水面から開口部までの高さは30cm程度あり、当時風が吹き上がってそれ
ほど時間がたっていないこともあって波はそれほど高くなく、この状態での浸水はなかっ
たようである。
 もしこの時点で、セールの上に乗った人が艇から離れていれば、少ないながらもプラス
の復原モーメントが働くため、艇は起き上がったものと考えられる。しかし、これをパニック
に陥った人に求めるのは無理なことであろう。
 このように横倒しになったまま艇は風下へ流されていき、セールはちょうどシャベルが
水を掬うように回転モーメントを発生し、ヒール角を増していったものと考えられる。セール
に乗った人が水に浸かりはじめると浮力が作用するので、復原力曲線Cの復原力消失
角100°を越えても、しばらくは横倒し状態が続くものと考えられるが、さらにヒール角が
大きくなると、ついには自動的に180°転覆へと向かうことになる。
 150°横転時の浮揚状態を図6に示す。明らかにコンパニオンウェイのハッチからの浸
水が始まることを示している。しかしながらここから180°転覆に至るまでの時間はそれほ
ど長くないので、この時の浸水量はそれほど多くないものと考えられる。これに対して
180°転覆時は、コンパニオンウェイからかなりの浸水があると考えられるが、コクピット出
入り口の下端が水面につかれば空気の逃げ道が塞がれるので、浸水は止まる。図7に
180°転覆時で、船体全容積の10%に相当する0.9tonの水が入った場合の浮揚状態を
示す。コクピット出入り口の下端がほぼ水面高さとなっているので、180°転覆時の浸水
量はこの程度と考えられる。
 この点は、転覆時に艇体につかまっていた人が、ハルとデッキの接合部につかまって
浮かんでいたという証言があるので、艇はそれほど深くは沈んでいなかったことを示して
おり、妥当なものと考えられる。また大阪府立大学、池田良穂教授の指導のもとに行わ
れたNHKの模型転覆実験でも、180°転覆時に同程度の浸水があったことが示されている。

6.転覆から反転そして沈没
 180°転覆時は、図2の復原力曲線からも分かるように一旦安定する。しかしながら
180°から復原力消失角(118°)までの曲線で囲まれた面積(この場合は起き上がらせ
るために必要なエネルギー)は、正立時に比べてかなり少ないので、ちょっとした波など
のショックで反転して正立状態へ戻る。これは世界一周をするようなヨットが、波にのまれ
て180°転覆しても、しばらく我慢していると元にもどったという経験が多数報告されてい
ることからも明らかである。
 「ファルコン」の場合は波のエネルギーによって戻ったというよりも、メインセールを展開
したままであったので、艇体が風下へ流されることによって180°転覆状態からそのまま
回転を続け、反対側の復原力消失角を越えることによって360°回転し、正立状態へ戻
ったものと考えられる。
 この過程で、艇がわずかでも起きて空気の逃げ道ができると、浸水は一気に増えるもの
と考えられる。図8に船体全容積の10%に相当する0.9tonの水が入った場合で、150°横
転時の浮揚状態を示す。図5の浸水のない場合と違い、コンパニオンウェイ開口部の没
水深さは30cmから40cmほどあることが分かる。 
 ハッチからの湖水流入量の正確な算定は困難と考えられるが、“せき”からの流入と考
えて試算を行ってみる。開水路の流量を測定する方法として “四角せき”が用いられ、
流量は次式で求められる。(式(2)と解説参照)

 上記のNHKの模型実験によれば、反対側の横倒し状態に戻った270°(−90°)付
近で回転運動が一瞬止まり、この時に一気に浸水して7.9tonに相当する浸水量になっ
たことが示されている。いずれにしても、転覆状態から元へもどる時にコンパニオンウェイ
から大量に浸水するという、想定外の事態が生じたものといえる。
 図9に浸水量が60%(5.7ton)となった場合の反転後の様子を示す。証言によれば反転
後、艇はほぼ水平に浮かんだが、湖面からデッキに手が届くほどの高さしかなく、そして
すぐに沈んだとのことである。これほどの浸水量があると、艇が水平に浮かんでもコクピッ
ト内の水がコンパニオンウェイから船内へ流入する状況となっている。さらに少しでもスタ
ーントリムになっていれば、デッキを越えた水は一気に船内に流れ込むことになり、沈没
に至ったものと考えられる。

7.問題点の整理
(1)90°横転を招いた原因
 この艇がメインセールのみを上げて、乗員がない状態か、もしくは乗員がヒールを起こ
す側に乗ってそのまま同じタックで帆走している場合は、例え風速が15m/sであっても
ヒール角は50°どまりで、横転に至ることはない。ただしこれは船を転がすような大きな
波がなければの話であるが、琵琶湖の中で、しかも吹き始めてそれほど時間がたってい
ない状況であればこのような大きな波が生ずるとは考えにくい。
 したがって90°まで横転した最大の原因は、大勢の乗員がデッキ上に乗った状態で、
かつそれまで風上側でヒールを起こしていた人達が反対舷へ移動するまもなく急にタッ
キングしてしまったことにあると考えられる。スキッパーはタッキングする際は必ず乗員に
声をかけ、反対舷への移動などの準備を促すのが普通である。もしこのような指示がな
かったとすれば、デッキ上の乗員が多すぎて移動できないと判断したのか、もしくは指示
をする余裕がないほどの緊急事態が発生したのかもしれない。

(2)90°横転から180°転覆へ至った原因
 海に投げ出された方の気持ちを察するととてもこのようなことは言えないが、もし90°横
転時に艇体につかまることができて、マストやセールに誰もつかまっていなければ、復原
モーメントはプラスなので艇は起き上がったはずである。残念ながら何人かの人がセー
ルとデッキ上に乗った状態で横倒しになったまま艇が風下へ流され、これにともなってセ
ールが水を掬うように回転モーメントを発生し、ヒール角を増していったものと考えられる。
 ヒール角が復原力消失角を越えると、後は自動的に180°転覆へと向かうことになる。
 もう1つの問題点として、横転状態で何人かの人がマストやセールにつかまるともう起き
上がることができないという、このサイズの艇の復原モーメントの小ささが、不幸な結果を
招いた要因となった点も指摘しておきたい。

(3)沈没を招いた原因
 事故艇を引き揚げて調査した結果、180°転覆時に空気が抜ける原因となるような、
船体を貫通するシーコックは取り付けられていなかったとのことである。したがって浸水
は、横転、転覆、反転にいたる過程で、コンパニオンウェイの開口部からの流入によるも
のということになり、これが開いていたことが沈没に至った主原因と考えられる。
 コンパニオンウエイのスライドハッチと差し板がともに閉まっていれば、大量の浸水は防
ぐことができるので、沈没は防げたものと考えられる。
 しかしながら筆者らの場合でも、コンパニオンウェイは乗員が雨具を着用するような荒
天の場合を除いて、通常のセーリングでは開けているのが普通である。本艇の場合は上
述のように、それまでは快適なセーリングであったとのことであるので、事故当時開いて
いたことが大きな落ち度であったとは思われない。横転から転覆までに至ってしまったの
が直接の引き金になった訳ではあるが、よもや転覆するとは思ってもいない、というのが
普通のヨット乗りの気持であろう。
 なおこの艇にはバウハッチはなかったが、船首に換気孔が取り付けられていた。一部
の報道機関が、この換気孔が開いていたことが沈没の原因となったとの見方をしている
が、この換気孔は通常カウルヘッドと呼ばれるキセルの頭のようなカバーを取り付けて空
気を取り込むためのもので、通常は開いたままになっている。デッキのほぼ中央について
いるので、横転時にここから浸水することはない。ただ転覆後の反転正立時に、ここから
空気が抜けて沈没を早めた可能性はあるが、コンパニオンウェイというはるかに大きな開
口部があるので、いずれそれほど変わらないものと考えられる。

8.沈没を防ぐには
 このサイズの艇であれば約0.6m3程度の空気室(浮力体)があれば、水船になっても沈
むことはない。クルーザーというよりも、大きなディンギという考え方をすれば、このような
空気室(浮力体)を船内に設けることも沈没を防ぐ1つの方法であろう。約0.6m3というと、
ドラム缶3本分、あるいは2リットルのペットボトルで300本分である。船首と船尾部分に発
砲体を詰め込んで、ベニヤ板のバルクヘッドをFRPで固定するという、日曜大工程度の
工作でも設置可能であると思うが、いかがであろうか。

9.船のサイズの問題
 本事故が生じた原因について考察してきたが、これらの根底にある最大の要因は事故
艇のサイズにあるものと考えている。これまでに述べてきた、横転に至るまでの動的な復
原力や、横転時の復原モーメントの小ささなどといった問題が全てこれに起因している。
 考えてみれば、バラスト重量が約330kgfと大人5人分ほどの重量しかない訳であるから、
外洋クルーザーであると安心せずに、大きなディンギ−かデイセーラー的な感覚で運用
するべき船であろうと考えられる。
 では、事故艇より一回り大きく、現在も多数運用されている全長7.5mクラスの艇につい
て、同様の事態がおこった場合は大丈夫であろうか。図10に全長7.5m、排水量1.8トン、
バラスト比40%の場合の例を示す。セール面積はメインとジブを上げた状態で、26m2とし
ている。ここでは適正な人数と考えられる、大人5人がデッキ中央に乗った場合の復原力
@と、風下側に乗った場合の復原力Aを示している。
 ここで風速12m/sとして、予期しないワイルドタックが起きて、全員移動しないまま風下
になってしまったという最悪の場合を考えてみよう。図4の場合と同様にAの面積とBの
面積が等しくなる点を求めると、なんと120°まで傾いてしまうことが分かる。ほとんど復
原力消失角までヒールするのである。この例はワイルドタックという特殊な場合であるが、
船が急激に回頭してセールに急に反対側から風が入る、ブローチングやワイルドジャイ
ブの場合にも同様のことが言える。全長7.5mクラスといえども安心できないのである。
 このサイズの船で強風下のスピンランで、ブローチングやワイルドジャイブして横倒し
になった経験をお持ちの方もあるのではないだろうか。横倒しで止まって転覆しなかった
とすれば、幸運以外の何ものでもなかったことがお分かりいただけたと思う。なお全長が
7.5m程あっても、排水量が1トン程度であれば、図4とそう変わりがないことを肝に銘じて
ほしい。

10.おわりに
 今回の事故の最大の要因は事故艇のサイズにあると述べたが、もちろん堀江謙一氏が
初めて太平洋を横断した時のマーメイド(キングフィッシャークラス)をはじめとする、全長
6m程度の外洋艇が長期の外洋クルーズを成功させた例はたくさんある。したがって、この
サイズだから危ないとは一概にいえないが、これらの小型艇は長期間外洋へ出ることを
前提に設計され、乗り手もそのつもりで準備している。
 これに対して比較的平水に近い水面で普通のセーリングを楽しんでいる人達は、筆者
を含めて、小型でもクルーザーと名前がつけば横転も転覆もしない安全な船、と思い込ん
でいるのではないだろうか。また復原力曲線の魔術で、復原力消失角が120°近くまであ
るといった情報が、例え横倒しになっても安全という“ヨットの安全神話”につながってしま
っているように思う。「横倒しになればセールに働く風の力が抜けるのでそこで止まり、我
慢していればその内に復原する」という神話である。
 これまで述べてきたように、これは静的なヒール角についてしか言えないことである。動
的なヒール角、すなわち「風が船をヒールさせようとする仕事量」という考え方からすると、
横倒しで止まるという保証はどこにもないことをあらためて強調しておきたい。
 たしかにここで述べたのは、風速10m/sの状況でクルーが何人も風上側に座ったままで
急激なタッキングをするという、普通なら考えられない状況によって発生した事故と言わざ
るを得ないが、比較的小型の場合は例え外洋クルーザーといえども風の力だけで横転し、
転覆に至る可能性があることを肝に銘じておく必要があろう。今回の事故はあまりに大きな
犠牲をともなったが、このような意味で我々に対して大きな警鐘を鳴らしたものと考えている。
 最後に、このような事故を防ぐために考えられる対策を以下にまとめておきたい。

対策:
☆大勢の乗員をデッキ上に乗せない。(安全検査の定員とセーリング時の定員は別物)
☆無理にセールを張らない。(ブロ−チングをよくする艇は要注意)
☆急激なタッキングをしない。(シートを出さないで急にベアしない。ブローチングにも注
 意)
☆横倒しになって水面に投げ出されたら、セールやマストにつかまらず艇体につかまる。
☆ライフジャケットを必ず着用する。
☆セーリング時はバウハッチはもちろんであるが、コンパニオンウェイのハッチと差し板も
 なるべ く閉める。
☆シンクの排水口などのシーコックは全て閉める。(横転時や180°転覆時の浸水を防
 ぐため)


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